心理学といっても○○心理学、精神○○学など現代では他種多様で、いろいろな場面でその学問が用いられています。
心の病を治す心理療法では当然のこと、幼児の教育の現場やスポーツ選手のメンタル面のコントロール、犬のカーミングシグナルなどケースは様々です。
今回は「精神分析学」について私が興味深いと思った部分についてお話をしていきたいと思います。
精神分析学の創始者「フロイト」について
1856年生まれのジークムント・フロイトが創始した無意識をテーマに扱う心理学です。
皆さんはフロイトの名前は聞いたことがありますでしょうか。
あの有名な映画「タイタニック」にも名前だけは登場してきます。
19世紀ですからつい最近の話でもありますね。
では精神分析学はどうでしょうか。
もちろん他の学説や学問と共有する事項もありますし、正反対の内容もあります。
時代の移り変わりとともにブラッシュアップ(今以上にスキルを磨き上げること)されてもいます。
フロイトが提唱し研究した精神分析学の内容の中で、私なりに面白いと感じた部分について触れていきたいと思います。
皆さんも無意識という言葉はご存知でしょう。
「無意識にやってしまった」なんていうフレーズも日常生活の会話に飛び出すくらいです。
実際に、気がついたら無意識のうちにこんなことしてしまっていた。なんてことを経験された方は多くいるはずです。
では自分の無意識の世界がどんなものかは把握できているでしょうか。
この質問自体がおかしいですね。(申し訳ありません)
意識できないから無意識なのです。
把握できていない世界が無意識なのです。
フロイトはヒステリーなどの神経症を治療していく中でこの無意識という世界が個々に存在し、意識することが苦痛であるような欲望を抑圧している場所であることを突き止めました。
人間は誰にでも思い出したくない過去はありますが、そんな中でも特に心的外傷を受けたような内容です。
幼い頃に受けた心的外傷は健全に成長し生きていくうえで邪魔な存在ですので、鍵をかけて記憶の奥底にしまってしまいます。
少し怖いですね。
正直、あまりのぞきたくない世界です。
できれば関わりたくないと思ってしまいますね。
しかし、そこに自分の本当の欲求が隠されているとしたら本当に興味深く、考えされられるものがあります。
無意識のうちに何かやっていたと思うことが多い方は、その無意識の時間について考えてみるのも面白いかもしれませんよ。
意識+無意識=あなた
基本的に関わりたくない無意識の世界ですが、実際にはそうはいかないことが多いようです。
なぜなら意識しているあなたと無意識のあなた合わせてこそ本当のあなた自身なのです。
つまり無意識もあなた自身を作り上げているパーツのひとつということになります。
無視し続けるわけにはいきません。
無意識に抑圧すればするほどその反発する力は大きくなります。
そしてヒステリーのような神経症として表に現れてくるのです。
フロイトはその心的外傷を言語化することで症状が消失する「除反応」というものに気が付きました。
自己の葛藤を自覚し、表面化することで本人が意識することで治療できるというものです。
ただし当然ながら本人が自覚したくなくて、鍵をかけて封印しているものを開くわけですから苦痛を伴いますし、その治療を自ら回避しようとする働きも生まれてきます。
まさにパンドラの箱を開けてしまうような、ちょっと怖い部分があるといえますよね。
しかし、その箱の中を知ってこそ本当の自分を知ることができるとも読み取れます。
夢を見るということについて
私はよく夢を見て、それを覚えていますが、皆さんはどうでしょうか。
その日にあったことを思い出して夢に現れることはよくあります。
しかしフロイトはこの夢こそ、意識と無意識の架け橋だと考えていました。
もちろん本人が絶対に意識したくない内容ですから、ストレートには現れません。
別の形、別の姿、別のストーリーとして間接的に訴えかけてくるのです。
そして意識は少しずつ無意識を受け入れていきます。
これは本当の自分自身を少しずつ完成させている行為に等しいです。
フロイトはこの夢を分析することで患者の中の問題、無意識を読み取ろうとしました。
とても難しい行為です。
そして、その判断は分かれます。
実際にこの判断でフロイトと、その愛弟子であるユングは喧嘩になっているぐらいです。
誰の力も借りずに自分ひとりで行うことも危険だと言われています。
無意識から何が飛び出すかわからないからです。
もし飛び出してきたものが、耐え難い「恐怖」や「苦痛」であれば、それに耐えられるだけのものを身につけていなくては心身ともに崩壊してしまう恐れがありそうですね。
心理学の考えって本当に奥が深くて、年をとるにつれて考えさせられるものが多々あります。
今回は、私が読んで興味を持ったフロイトの精神分析学について書かせていただきました。
最後まで見ていただいてありがとうございます。