教育してもらうなら「自分磨きを忘れない人」や「夢がある人」のほうがずっといい


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私は、ネットショップの傍ら、ともに教育という畑で働くようになって15年になります。
少子化の影響で子どもの数は減りましたが、子ども自体に大きな違いは感じられません。

頑張る子もいれば手を抜く子もいる。
部活に一生懸命になる子もいれば、勉強と両立できる子もいる。
反抗期の子もいれば、過保護に育てられた子もいる。昔も今も同じです。

ゆとり教育の時代もあり、学ぶ量は減りましたし、学力も他のアジア諸国に差をつけられたりしていますが、子どもは子どものままです。

今回は「日本の教育はどうなるのだ!?」とかいう以前に、他人を教育するということについて触れていきたいと思います

■自らも学ぶ姿勢

私がこの業界に初めて入ったときの教室の担当者がこんなことを言っていました。

「私たちの仕事は私たちが努力するのではなく、生徒を努力させてなんぼだ」と。

事実、自分が中学時代に進学できなかった高校を目指している生徒が大半だったり、自分が夢にも思わなかった大学への進学を目指している生徒を偉そうな顔をして教えるのです。

そこに後ろめたさをもっても仕方がないだろう、ということを言いたかったのだろうと思います。

しかし、努力していない人間が努力を語っても相手の心には届きません。
そんなものは口先だけのきれいごとです。

目標を達成しようと苦労している人間こそが目標に向かい頑張ることの尊さを語れるのです。

完成された人間などこの世にはいません。
みんな不完全な部分があり、そこを補うために努力をしています。
自らを高めるため、周囲の役に立つために学んでいます。

教師や講師も同様です。
教育の現場を通して、授業を通じて講師も成長できるように努力し、工夫し、目標を持たなければなりません。

それが熱意となり、想いとなり、他人の成長に貢献できる貴重な存在になれるのだと思います。

努力させることだけを、やらせることだけを考えても人は動きません。
恐怖をもって支配し、テストで得点がとれるようになっても、受け身な人間を育てているだけです。

「努力している人間はこんなにも輝いているんだ」、「こういう大人になりたい」と思わせることのできる人間的な魅力が教育者には絶対必要ですし、常に向上心を意識している必要があります。

つまり、私はこう考えます。

「私たちの仕事は、努力している姿、一生懸命になっている姿を見せて生徒や保護者を感化させてなんぼだと」.。

それができる人間こそが教育の現場に立つべきです。
そしてそういう現場をみんなで作っていくべきです。

それは地域でもいえる話であり、日本全体にも通じる話だと思います。

 

■未来を語る

教育者は志を語るべきです。

日本をこうしたい、地域をこうしたい、だからみんなにはこうなってほしい。
そのために先生はこんなことをしている。

現状の教育現場では、このうちのどれかが決定的に足りないように思ってなりません。

現場の教育と日本の未来を繋げられない教育者もいます。
そんな環境で育って、社会人になったときに、はたして強国となったインドや中国のような他国と張り合っていけるのでしょうか。

私は心配です。

教育者はより広い視野で子どもたちの将来見つめるべきです。
はたして本当にこの子たちが自分たちの力で食べていけるようになるのか。

おそらく今はまだ存在しないような仕事につく子がほとんどになるでしょう。

現在以上にインドや中国という大国と経済面・教育面で戦っていかねばならなくなります。
世界や社会は、努力をする国や人を中心にどんどん目まぐるしくシビアに変わっていきます。

子どもたちにはどんな力が必要のでしょうか。

2020年からセンター試験の仕組みが変わります。
日本もようやく英語で自分の意見を主張できるようにならないと世界の舞台では通用しないことに気づいたようです。

たくましさを、自立心をどうつけていくのか、相手の気持ちをどうくみ取り、自分の意見をどう主張すべきなのかを問われる時代になりました。

ただ知識を覚えるだけの勉強や教育は終わりを告げたのです。

日本を引っ張るリーダーたる存在、人財の育成こそが教育の重要な使命になっています。

そのためにも己を磨くことを教育者は忘れてはいけません。


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