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真田丸で黒木華が演じる「梅」とは史実では信繁(幸村)が生涯愛して止まない人物だった!

2016年の大河ドラマ「真田丸」。

豪華キャストが勢揃いということもあって、時代劇を普段あまり見ない方からでも非常に人気の高いドラマとなっているようですね。

 

真田丸はドラマを面白くするように描かれているところもあって、史実でははっきりとわかっていない人物を事細かに描いていたりします。

真田丸を見ている方なら既にお分かりかもしれませんが、長澤まさみさんが演じる「きり」と黒木華さんが演じる「梅」がその人物に当たります。

 

両人物はドラマでも最も重要な人物で、「倍返し」でもお馴染みの主演・堺雅人さんが演じる「真田信繁」に欠かせない存在となっています。

ここでは、黒木華さんが演じる「梅」とはどのような人物だったのかをまとめてみました。

 

真田丸ではかなり脚色されている真田信繁の娘・梅

NHKの大河ドラマ「真田丸」は真田信繁を主役に据えた時代劇です。

脚色された内容も多くあります。

そのひとつが真田信繁の娘の「梅」の存在です。

 

真田丸では梅は、真田信繁と正室である大谷吉継の娘・はる(竹林院)の間に生まれた娘という設定になっています。

そもそも真田信繁の最初の妻の名が梅です。

 

戦乱に巻き込まれて亡くなっています。

真田信繁が生涯忘れられぬほど愛した女性でした。

 

後妻となる「はる」は、嫉妬心や独占心と相まって、娘が生まれたら梅と名をつけたいと真田信繁に願い出るのです。

真田信繁とはるとの間には三人の子ができます。

長男で嫡男となる大助、次女(長女は上田に住んでいる頃に梅との間に生まれています)の梅、そして次男の大八です。

 

しかし史実では梅は真田信繁と高梨内記の娘との間に生まれた娘です。

高梨内記の娘は真田丸では「きり」という名で登場し、真田信繁を幼きころから慕い、支えています。

実際は真田信繁の側室のひとりで子を産んでいるのです。

 

「きり」についての詳しい記事はコチラをご覧ください。
⇒ 大河ドラマ「真田丸」で信繁が最も愛した側室の「きり(長澤まさみ)」は謎の多い実在する人物

 

梅の誕生の年ははっきりとわかっていませんが、1599年か1604年というふたつの説があります。

仮に1599年に生まれたのであれば真田信繁が上田にいた頃のことになりますし、1604年であれば蟄居生活となった九度山時代に生まれた娘ということになります。

 

真田丸では後者です。

九度山村で生まれ、裁縫などをして家計のやりくりの手助けをしています。

 

大阪夏の陣以降の梅の足取り

この梅は1614年、父である真田信繁と共に大阪城に入ります。

翌1615年に大阪夏の陣があり、父の真田信繁は討ち死にし、大阪城は落城しました。

 

梅はこのとき敵方に捕らえられます。梅を捕らえたのは伊達政宗の重臣である片倉重長です。

実はこの大阪夏の陣の際に、大阪豊臣側の真田信繁と江戸徳川側の伊達政宗は交戦状態になっています。

 

「道明寺の戦い」と呼ばれるもので伊達政宗の先陣である片倉重長と真田信繁がぶつかり合い、真田信繁が勝利を収め、片倉重長は撤退しました。

このときの片倉重長の戦いぶりを見て、真田信繁は大いに気に入ったと云われています。

 

大坂方の敗北を感じ取った真田信繁は片倉重長の陣に矢文をし、梅の保護を願い出たとも云われています。

この辺りも詳細は定かではなく、大阪城落城の際に片倉重長に乱取りされたという説も残されています。

 

どちらにせよ梅は父と死別し、片倉重長に運命を託すことになるのです。

 

片倉重長の継室となり仙台藩へ

徳川家康を自刃するかどうかまで追い詰めた真田信繁の名は一躍武人の誉れとなりました。

そのこともあってか片倉重長は敗将の娘である真田信繁の娘・梅を妻に迎えます。

 

弟の真田大八も大阪の陣の敗戦を逃れて陸奥白石の姉・梅を頼ってきました。

片倉重長は真田大八をかばい、仙台藩士としました。

 

当初は江戸幕府の追及を恐れて片倉姓を名乗っていましたが、八代後の子孫が真田姓に戻し、仙台真田家として復興したのです。

まさに梅は片倉家と真田家の架け橋でした。

 

梅は1682年まで生き、天寿をまっとうしています。

白石城下に月心院を建立し、父・真田信繁の菩提を弔いました。

 

互いを認めあった真田家と片倉家

徳川家康をもう一息のところまで追い詰めながらも討ち死にした真田信繁ですが、その武勇は天下に知れ渡ることになります。

江戸幕府も真田信繁の強さは認めています。

 

その真田信繁が天晴な武者ぶりと褒め称えたのが片倉重長です。

片倉重長も真田信繁の奮闘ぶりに心を奪われたと云われています。

 

互いがその強さを認め合ったからこそ片倉重長と梅の婚姻は成立したのでしょう。

残念ながらふたりの間に子はできませんでしたが、養子となる景長が立派に片倉家を継いでいくことになります。